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最高裁判所第二小法廷 昭和57年(あ)671号 決定 1985年4月03日

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人大槻龍馬の上告趣意は、事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

なお、本件の事実関係のもとにおいては、信用組合の専務理事である被告人が自ら所管する本件貸付事務について、貸付金の回収が危ぶまれる状態にあることを熟知しながら、無担保であるいは十分な担保を徴することなく貸付を実行する手続をとつた以上、それが決裁権を有する組合理事長の決定・指示によるものであり、被告人が右貸付について組合理事長に対し反対あるいは消極的意見を具申した事情が存するとしても、所論のように任務違背がないとはいえないと解すべきであつて、これと同趣旨に帰する原判断は正当として是認することができる。

よつて、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(牧圭次 木下忠良 鹽野宜慶 大橋進 島谷六郎)

弁護人大槻龍馬の上告趣意

原判決には判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認ないし法令違反があり破棄しなければ著しく正義に反する。

一、第一審判決の要旨

原判決が支持した第一審判決は、

1 信用組合弘容の特別融資部長・専務理事の吉田多良、及び被告人柴田孝、組合長の白石森松、副組合長の児玉太郎がそれぞれ「顧客に組合資金を貸付けるにあたつては、関係法令及び定款の定めを遵守するはもとより、予め貸付先の資力・信用状態を調査し、十分な担保を徴して貸付金の回収の確実を期し、あるいは同組合にある顧客の当座預金の支払資金の残高のない場合にはその当座預金からの支払いをせずあえて支払資金の残高を超えて支払いをする場合には予めその顧客の資力・信用状態を調査し、組合の債権保全のため前記事務を誠実に遂行すぺき任務」を有していたものであること。

2 被告人柴田孝は藤田政雄・水沼計恵・大和清らから、丸一興産(株)・永大建設(株)・藤田個人及びグリーン総業(株)に対する貸付ないしは当座貸越を依頼されるや、各債務者の資産状態からみていずれも貸付金の回収が危ぶまれる状態であることを熟知しながらこれを了承し、それぞれ白石・児玉・藤田・水沼・大和らと共謀のうえ相手方の利益を図り組合に損害を加える目的をもつて前記1記載の任務に背いて各貸付ないしは当座貸越を行い、もつて組合に対し財産上の損害を与えたこと。

3 専務理事たる被告人柴田孝の1の任務につき純貸三〇〇〇万円以内の信用供与、あるいは純貸三〇〇〇万円を超えるもので純貸額の一〇パーセント以内の純貸増の信用供与の決定権しか与えられておらず、本件各貸付はいずれもその制限を超えてはいるが、被告人柴田は

(一) 貸付の要請があつた際、その都度白石・児玉と協議して決定に関与し

(二) 貸付決定後は特融部長あるいは特融部長代理の起案した禀議書に白石理事長らとともに決裁印を押しておりこのことは、同組合定款二二条四項・職制規程六条一項別表4などに規定する重要な職務に基いてなされたことが明らかであるから本件各貸付につき一定の包括的裁量的事務に携つていたもので単に機械的な事務の担当になつていたものではない。

との判断を示した。

二、本件控訴趣意

本件控訴はその趣意として、

1 第一審判決が掲げる前記同組合定款二二条四項は、「専務理事は理事長及び副理事長を補佐して業務を執行する。」職制規程六条一項別表4は、「理事長・副理事長の行う職務を補佐し、理事長・副理事長の指揮を受け日常業務を処理し、または理事長・副理事長から委任を受けた業務を執行し、必要があれば業務全般について理事長に意見を具申する。」とそれぞれ規定しているが、右別表4はさらに専務理事の職務権限につき、「理事長・副理事長の命を受け、常務理事又は部長を指揮して執行活動を行い、かつ理事長・副理事長から委任を受けた業務については常務理事または部長を指揮して職務を執行する権限をもつ」と定め、同組合は、中小企業協同組合法に基いて設立されたものでありながら、現実には白石理事長のワンマン運営が遂行され同法三六条の二の「組合の業務執行は理事長が決する」ような運営はなされていないのが実情であつたこと。

2 従つて被告人柴田孝にとつては、同組合の役員職務権限に関する取りきめによる専決執行事項を超える本件各貸付については、白石理事長・児玉副理事長に対し第一審判決判示にかかる任務にそうべき適正な意見を具申することが刑法二四七条に定める任務の具体的内容であつて、被告人柴田孝は本件各貸付について自ら逐一詳述するように、すべて反対の意見を具申し、可能な限り抵抗を示しているものであるから同被告人には刑法二四七条に定める任務違背があつたとは到底認めることはできない。

まして第一審判決判示のように被告人柴田孝が本件各貸付を依頼されるや、各債務者の資産状態からみていずれも貸付金の回収が危ぶまれる状態であることを熟知しながらこれを了承したようなことな全くなく、右の状態を熟知したからこそいずれの貸付にも反対の意見を具申しているのである。

さらに被告人柴田孝は第一審判決判示のように本件融資につき白石理事長らと協議したことはなく、同被告人には協議をする権限は与えられていない。

而しておよそ同組合において代表権を有する組合長・副組合長に次いで組合の上層幹部にあたる専務理事たる被告人柴田孝の右の適正な意見具申が容れられなかつたのは

「藤田は以前土地問題で白石の弱みを握り、その際白石から将来商売には全面的に資金の応援を受ける約束をとりつけ、その後も同人の要請で組合の不良債権の回収等に従事し、相当の成果をあげていたことから同人に重用され、組合内で役員に匹敵するほどの事実上の地位を得ていた」

からであつて、このことは第一審判決がいみじくも明らかに判示するところであり本件における極めて特殊な事情ともいうべきである。<中略>

と主張した。

三、原判決の重大な事実誤認ないしは法令違反について

1 原判決の被告人の任務に関する控訴趣意に対する判断の誤り

(一) 原判決は被告人の任務に関する控訴趣意について次のとおり判示している。

そこで所論にかんがみ記録を精査し、かつ当審における事実の取調の結果をも参酌して検討し、以下のとおり判断を加える。

そもそも他人のためにその事務を処理する者は、その事務の性質に従い忠実にこれを履行しその財産上の利益を保護増進する義務を負うものであつて、もしこの義務に違背し自己もしくは第三者の利益を図り又は本人に損害を加える意思をもつてその任務に背く行為をなし、よつて本人に財産上の損害を加えたときは背任罪の責任を免がれないのであつて、右背任罪の成立には必ずしも行為者が自己単独の意思をもつてその事務を左右しうる権限、すなわち決定権を有する事務に関し背任行為の存することを必要としない。たとい他にその事務の遂行について指揮監督その他決裁の権限を有する者が存する場合であつても、いやしくもその行為者の担任する事務の範囲内に属する以上、これに関し背任の行為があつた場合は本罪が成立するものというべきである。なぜならば、右決裁権を有する者とその決裁権の下に事務を処理する者とは、その権限は同等でないとはいえ、両者相まつてその事務を遂行するものであつて、その任務の範囲を区別して背任の罪責の存否を決すべきものでないからである(大正三年(れ)第三一〇八号、大正四年二月二〇日大審院判決、大刑録二一輯一三〇頁、刑抄録六一巻七八九五頁・昭和一七年(れ)第一四一二号、同年一一月三〇日大審院判決、法律新聞四八二四号七頁各参照)。これを本件についてみるに、原判決挙示の関係証拠によると、被告人は、当時信用組合弘容の専務理事であつて特別融資部を担当し、日常業務を処理していたものであるが、理事長・副理事長の指揮を受けるとともに、理事長・副理事長の行う職務を補佐し、必要があれば、業務全般について理事長に意見を具申する権限をも有することが認められるから、その行為は所論のように単なる機械的存在としてのみのそれにとどまつていたものとはいえないのであつて、刑法二四七条にいう他人のためにその事務を処理する者にあたるというべく、したがつて同信用組合の特別融資部担当専務理事としてその事務を忠実に履行し同信用組合の財産上の利益を保護増進する義務を負い、いやしくも第三者の利益を図り又は同信用組合に財産上の損害を加える行為に出た場合には背任罪の責を負うことを免かれない。

(二) ところで本件控訴の趣意は前示のごとく特別融資部担当の専務理事としての被告人柴田孝の担任する任務の範囲は本件各貸付に関するかぎり具体的には理事長・副理事長に対し、第一審判決判示にかかる任務にそうべき適正な意見を具申することにとどまり、一旦理事長・副理事長による決裁がなされたときは以後機械的にこれを処理するものであつて、被告人柴田孝の担当する任務の範囲で本件各貸付に関する部分のすべてが単なる機械的存在としてのみにとどまつていたと主張しているものではない。

この点につき、第一審判決は、部下より意見を付して上司の決裁を受けるという本来の禀議の手続がとられないで、被告人柴田孝の反対に拘らず白石理事長より貸付実行の口頭決裁がなされ、その後右決裁の趣旨にそつた禀議書が機械的に作成され決裁印が捺されている経過を無視するものであり、また原審のこの点に関する判断は前示のとおりであつていずれも弁護人の主張との間にはくいちがいが見受けられるのである。

2 原判決の被告人の任務違背に関する控訴趣意に対する判断の誤り

(一) 原判決は被告人柴田孝が本件各貸付につき白石理事長・児玉副理事長に対し反対意見を具申した状況については詳細に各事実を認定したうえ、

本件各貸付について、それらがいずれも回収が困難であり、かつ無担保あるいは大幅な担保不足であるから、基本的には内心反対であり、そのほとんどについて白石理事長・児玉副理事長に対し反対あるいは消極的意見を具申したものの、いつたん同人らが承認を決定するや、やむをえないと考え、あえて少なくとも特別融資部担当を辞する等進退出処を決することもなく、右決定を承け、あるいは藤田・水沼、あるいは藤田・大和、あるいは藤田から白石・児玉とそれぞれ順次意思相通じ当該各貸付実行の手続をとつたものである。

と判示した。

(二) 特別融資部担当の専務理事たる被告人柴田孝の任務の遂行は前述の同組合定款二二条四項・職制規程六条一項別表4等により理事長に対する適正な意見具申をすれば足り、その意見具申が用いられないときは原判示のごとく特融部担当を辞する等進退出処を決するべき任務まで課されているものではない。またこのような任務を有する旨の規定は見当らない。

むしろ職制規程別表4には前記のごとく「専務理事は理事長・副理事長の命を受け、常務理事又は部長を指揮して執行活動を行い云々」と定められているほか、同規程四条には「指令系統は常に統一を保ちいやしくもこれをみだしてはならない」とも規定されているのであるから、原判決が認定するように被告人柴田孝が白石理事長・児玉副理事長に対し反対あるいは消極的意見を具申した事実が存するかぎり、その後これを聞き入れないで白石理事長・児玉副理事長らが決裁した各貸付をやむを得ないと考えながら執行したことは背任罪を構成するような任務違背に該当せず、従つて被告人柴田孝に対して背任罪の責任を問うことはできない。

(三) およそ法はすべての国民に対し善良なる市民として良識のある人間生活を営むことを期待するものであつて聖人や君子であることまでを期待するものではない。

もしこのような期待がなされるとすればそれは国民に対し難きを強うることになるのである。

原判決は被告人柴田孝が本件各貸付について特別融資部担当専務理事として白石理事長らに対し、反対あるいは消極的意見を具申したが右意見が用いられず同理事長らによつて貸付が決定された事実を認定したうえ、その際特別融資部担当を辞する等進退出処を決することなく貸付実行の手続をとつたことをもつて任務違背ありとしているが、特別融資部担当を辞することは専務理事をも辞すること、即ち失職につながることになり、これこそまさに難きを強うるものというべきである。永年大和銀行で真面目に勤務し、さらに信用組合弘容においても誠実に職務に精励し、本件貸付につき白石理事長の意向に対し何ひとつとして反対の意思表示をしなかつたいわゆる弘容譜代の役員達に同調しないで、唯一人勇を振るつて白石理事長に反対の意見を述べた被告人柴田孝に対して、さらにかかることまで期待しその期待に反するとして刑罰を科するようなことはまことに非情苛酷であつて法の所期する以上のものといわねばならない。

被告人柴田孝が本件貸付につき反対の意見具申をしたことは、自己ならびに藤田らの利益を図る目的は勿論、同組合に損害を加える目的がなかつたことを十二分に裏付けるものである。

被告人柴田孝は、前科前歴は全くなく、今日までまことに清らかな人生を送つて来た者であるが、もし、本件が刑罰の対象となるとすれば、人生の仕上げの段階において全く思いもよらぬ刑罰という最大の汚点を残したまま生涯を閉じなければならないのである。

本件では金も鉛も一括して区別なく訴追がなされ、第一審も原審もともにこれを鵜呑みしその区別を見極め得なかつたものである。

右の原判断は重大な事実誤認もしくは背任罪の解釈につき著しい誤りを犯したものというべきである。<以下、省略>

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